落つ

当初掲載日:2017.10.29 最終更新日:2017.10.31


A.鮎やな  2017.10.29掲載

 

①秋深し産卵目指し下りなば仕掛けられたる簀子にぞ落つ

 

  撮影当時(2014年秋)は、このように詠みました。

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延岡市大貫町、2014.11.22(Sat)、13:20 Canon EOS 70D  EF70-200mm F4L IS USM 120mm F4 1/2500秒 +0.7EV ISO100

「鮎やな」について以下の説明は、延岡観光協会のWebサイトからの引用です。

 

 「鮎やな」とは、川をせき止めてその一部に流れ口を作り、成長して産卵のために川を下る鮎の習性を利用して、「落簀(おてす)」と呼ばれる竹の簀子(すのこ)の上に落ちた鮎を採る伝統的な漁法です。 

②適齢となりて聖地を目指す旅 不覚を取りて望みの潰(つひ)ゆ  2017.10.29掲載

 

 2017年の春に『写真短歌は面白い』(製本版)を作っている時、①の「秋深し」は慣用句であること、また「産卵目指し下りなば」は説明的だと気付きました。そこで、②のように変えました。 

③するだろう生命(いのち)を喰らう物語 塩焼きがいい味噌もいいよと  2017.10.29掲載(10.31編集)

  2017年5月、『写真短歌は面白い』(製本版)の最終版を完成させるべく、②の短歌の推敲を重ねていました。5月29日の夜、「生くるため命を喰らふ罪を為す ベジタリアンに憧(あくが)る時も」などと詠んでみたものの、決め手に欠け、12時頃に寝ました。この時点で既に詠題は「落つ」でなくなっています。

 すると、午前3時に目が覚め、その瞬間に上の句が浮かびました。真相は、眠っている間に「ニューロン

間の機能的結合」と呼ばれる事象が起きて上の句が出来上がり、私を目覚めさせてくれたのでしょう。下の

句は30分後に出来ました。それが③です。最終版確定の瞬間です。

  まともな本歌取りができたのは初めてのことです。本歌は村木道彦の「するだろう ぼくをすてたるものがたりマシュマロくちにほおばりながら」。本歌は永田和宏著『作歌のヒント』で知りました。折に触れて秀歌に親しむことの大切さを実感しました。

 そこで、③を2回目の歌会(2017年9月)の詠草として提出したのですが、残念ながら得票できず、「パロディだ」との評価でした。


B.台風 2017.10.29

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自宅、2017.10.29(Sun)、10:08、Canon PowerShot G7 X Mark II 29mm F2.8 1/320秒 ISO250

①台風の去りたる朝に掃除する花落ちて留まる塀の上

 

  昨夜(2017.10.28)、台風22号が九州南部に襲来。翌朝6時に起床した時には、雨は少なかったものの、強風が続いていました。

 10時頃になると、雨も止み風も気にするほどではなくなったので、庭の掃除をしようと外に出ました。

 すると、金木犀の花が庭と車庫に散っていました。シャッターチャンスなので、コンデジ(コンパクト・デジタルカメラ)を持ち出しました。どういう訳か、庭と車庫の間のブロック塀の上に、金木犀の花が落ちずに留まっていました。

 なお、「留まる」は四句と五句の句跨り、五句は詠嘆の「動詞+名詞」です。これは、最近始めた一つの工夫での4首目です。

写真短歌、フォト短歌、写短、紫陽花法師、台風、金木犀、キンモクセイ、塀
自宅、2017.10.29(Sun)、11:37、Canon PowerShot G7 X Mark II 37mm F2.8 1/400秒 ISO320

 ちなみに、車庫には、車と塀の間に大量の花が落ちていました。こんなにも落ちていればブロック塀の上に少しぐらいの花が残っていても不思議ではないかも知れませんが、台風で落花したので、さらに車庫に落ちて当然だろうと思った次第です。

 

 ここまで結句の詠嘆や句跨りの技法を真似て四首(うち一首は12月詠草であり、未提出)を作ったことで、何となく分かりかけてきたことが一つあります。

 それは、例えば「B.台風」は、写真に依存した写真短歌であって、短歌単独で意味は通じても、短歌としての評価は低いということです。写真短歌としては面白いと私は思うのですが、もっと短歌を推敲したとしても、私が面白がっているその情景は、短歌として詠める世界に深みがない、広がりがない、と言えるのでしょう。その点、「A.鮎やな」は、詠み方次第で良くなる、それだけの情景があると思います。 

追記2017.10.30(11.03編集)

 以上のように書いておいて翌日に修正するなんて、節操がないかも知れません。思い出したことがあります。永田和宏著『作歌のヒント』の「第1章 作歌の基本」には、以下のような短歌が数多く取り上げてあり、「素材として、どうでもいいことの大切さ」「発見の条件として、常識を捨てよ」「小さな具体の大切さ」が述べてあります。

 

ラッシュアワー終りし駅のホームにて黄なる丸薬踏まれずにある(奥村晃作)

午後二時となりしばかりに鹿の湯のえんとつよりはや煙はのぼる(小池光)

秋深し菊人形の若武者の横笛いずれも唇に届かぬ(岩切久美子)

 

 このような指摘を知ったのは、写真短歌を始めた2009年のことでした。そのことに勇気付けられ、どうでもいいこと」を見付けては詠み続けてきました。恐れずに言えば、ラッシュアワーの歌も広がりがないでしょう。それでも面白いと思います。


C.染まる  2017.10.29掲載

写真短歌、フォト短歌、写短、紫陽花法師、金木犀、キンモクセイ、落ちる、染まる
自宅、2010.10.29(Fri)、09:42 Nikon COOLPIX P80、10mm F3.5 1/60秒 ISO98

①また一つ金木犀の花の落つ 地面いよいよ黄色に染まらむ

 

  これは7年前(2010年10月)に作成した『写真短歌集8』の最後のページの写真短歌です。

 落ちる瞬間を撮っているように見えますが、実際はクモの巣の糸にからまって落ちずに揺れていたので、撮ることができた1枚です。

 これも、「B.台風」と同様、写真あってこその短歌だと思います。

  さて、今週末(11月4日)は出席4回目となる歌会です。私の詠草は、そして短冊に書いた短歌は、「B.台風」よりも広がりのある情景だと考えていますが、果たして前回以上の得票ができるでしょうか。