私が2009年3月に胆のう摘出手術のために入院していた時のことです。私は隣のベッドの人の声を聞いたことがありませんでした。
隣人はどういう状態だったかというと、手術後、排便を自力ですることができず、女性の看護師さんが指を肛門に入れて、便を掻き出していたのです。カーテン越しに聞こえる看護師さんの声と気配で分かりました。隣人は、情けない自分の状態を思えば、気力が萎えるのも当然でしょう。
或る日、女性が隣人を訪ねて来ました。しばらくして女性が田植えの相談を始めると、その瞬間、隣人は雄弁になりました。自分を必要としてくれる人の存在が、誇りを取り戻してくれる、有能であった自分を思い出させてくれる、そんな瞬間だと思いました。
その光景は写真に撮れないため、写真なしの通常の短歌、それを私は「無写短(むしゃたん)」と呼んでいますが、当時は無写短としても詠めないでいました。そして、10年後、第2版の執筆中に、こばやし雅子先生の「菜の花畑」の絵と短歌を組み合わせればよいと気付き、次のように詠みました。
手術後に萎えたる人に訪ね人
田植え相談され雄弁に
さて、私の退院の翌週の或る日の朝、義父が起き上がれなくなったとの電話がありました。救急車で脳神経外科に入院して手術を受けました。脳卒中でした。それから間もなく認知症を患いました。現在は寝返りすらできない状態ですが、まだどうにか歩行ができていた時期のことです。病院に連れて行こうとしても、なかなか行きたがりません。
そんな時、「お父さん、重い荷物があるから、お父さんでないと運べないよ。手伝って」と家族が言うと、「そうか」と言って、覚束ない足取りで家族に支えられながら、私の車に乗ってくれました。「自分を頼りにしてくれる家族がいる。自分でないとできない役割がある」という思いが、自発的な行動を促しているのだと思いました。