遡上する鮎を撮ろうと、五ヶ瀬川の岩熊井堰(いわぐまいぜき)を初めて訪れたのは2013年。その時は既に遡上のピークを過ぎていて、鮎を見付けることはできませんでした。
なお、公益社団法人農業農村工学会によれば、井堰は次のように説明されています。
井堰(いぜき)
わが国の農業用水は、大部分を河川から取水しているが、自然の水位を人為的に上昇させ、かんがいに適度な水位を保つ井堰の出現は、人々が必要とする時に水をいつでも利用することを可能にした画期的な意義をもっている。現代に生き続ける有名無名の用水は、先人の着想したこのような原理を最大限に活かしたものである。
2回目は2014年5月6日。魚道(魚の遡上が妨げられる井堰のような構造物のある場所でも遡上できるように造った魚専用の通路)には遡上する鮎の姿が確認できませんでした。
諦め切れないので、魚道の左右にある長いコンクリートの片側(2枚目の写真を参照してください)に立った瞬間、驚いた鮎が一斉に魚道を駆け上りました。
もしかして、1年前に来た時も、本当は鮎がいたのに気付かなっただけだったのかもと思いました。
次の写真は、3回目、4日後の2014年5月10日に撮影したもの。川の水量が少なく、魚道には全く水が流れていませんでした。
次は4回目。翌年の2015年5月10日に訪れた時は、水量が余りにも多く、魚道は激流で、魚道の遡上は無理と分かりました。
そこで、アオサギが待ち伏せている井堰を遡上する鮎を、川に入ってでも撮ろうか。もし川の中で転べば、カメラだけでなく、買ったばかりの新品の高価な超望遠ズームレンズが水浸しになって故障してしまう。迷った末、川に入ることにしました。
井堰を遡上する鮎は、水の上に飛び跳ねながら進むもの、水底を這うようにして進むもの、水流に押し流されるものなど、それぞれ懸命でした。
なお、宮崎県農政水産部農村計画課の「宮崎の水土を拓いた人々」というページには2つの井堰が取り上げられていて、うち2つ目の岩熊井堰は1734年に完成。延岡藩家老の藤江監物が貧困にあえぐ農民のために工事を進めさせたもので、今日でも地域の人々は、監物の命日には墓所に参拝し、慰霊祭を行なって感謝の意を尽くしているとのことです。